武蔵府中熊野神社古墳展示館に行ってきた…2021夏の自由研究
2021/07/20放送の マツコの知らない世界『ピラミッドを超える!古墳の世界』で、
古墳はコンビニの3倍ある!という。ならば、近くの古墳に行って、これを夏の自由研究にするっていうのはどう?
うちの近く(自転車で15分ほど)に『武蔵府中熊野神社古墳』があるので、ここに行って四方八方から写真を撮ってきた📷→府中・街中のオブジェ…『武蔵府中熊野神社古墳』
でも、写真を撮っただけじゃ自由研究にならないから、
国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館も見学
展示館の円弧状の窓は「上円下方墳」の上円の部分を模したデザインなのでしょうね。
入口には…
『ムサシカメ丸君 ドキ土器 夏休み』ののぼり。
「ムサシカメ丸」って何? ⇒ムサシカメ丸|ゆるキャラグランプリ公式サイト
のぼりは立ってるけど、今年はお家でやるのね。
⇒ムサシカメ丸君のお家でドキ土器夏休み2021|東京都府中市
え! 府中市の「ゆるキャラ」って、こんなにいるの!
⇒府中のキャラクターが大集合!!|FUCHU KIRARI LIFE
この中で私が知っていたのは、古都見ちゃん と ふちゅこま だけだぞ💧
あ、話が脱線してる😅
武蔵府中熊野神社古墳展示館の入口の上にある…
↑これは、鞘尻金具(さやじりかなぐ)で、武蔵府中熊野神社古墳から出土した中では最古~(さいこ~)のお宝✨ 詳細は下記
▼発見から復元まで
この中で注目ポイントが、神社の本殿の後ろにある小山(実は古墳)の写真
①調査前1997年 冬の落葉樹の小山(古墳)
②調査前2003年 夏の草木生い茂る小山(古墳)
武蔵野によくあるケヤキ、クヌギ、コナラなどの雑木林で、子供たちが遊んでいたんでしょうね。
神社本殿はこの小山に接して建っていたから、この小山を調査したら古墳であることが確定し、復元するには神社本殿が小山=墳丘に近すぎるから、ちょっと移動させないと! ということになって、
⑦神社本殿の曳家2008年 曳家(ひきや)したんだ~!😃 曳家はね、面白い工法だよ。
⇒曳家・曳屋の仕事|我妻組
※この小山が古墳であると判明するまでの経緯は、Wikipediaの「古墳発見から発掘、保全への経緯」に詳しく記されている。
▼復元整備の計画と考え方
『保存に当たっては、古墳全体を造られた当時の姿に復元することになりました。同じ場所に復元するため、元の古墳の上にかぶせる形になっています。』 ということで、復元された古墳の大きさは、元の古墳より一回り大きいのですね。
熊野神社本殿の東側にあった古墳の説明プレートには…
『建造当初に近い形態での復元を試みています。古墳の1段目の下方部の大きさと墳頂の高さは、本来の古墳と同じ大きさ・高さに復元していますが、上円部の直径と2段目の下方部の大きさは遺構を保護するため実際に出土した面より、1mほど大きくなっています。』…将来もう一度遺跡を掘り起こして調査ができるように、このようにしているのでしょうね。
それと、復元前の平面図を見ると、神社本殿は古墳の入口にかかってるし、どなたかのお宅も古墳の角にかかってますね。だから、神社本殿は曳家し、こちらのお宅は移転していただいたのでしょうね。
さらに「古墳標準断面図」を見ると…
本殿の東側にあった古墳の説明プレートの「葺石と貼石」の違いが何なのかが分ります。
円墳と方墳の側面の急な立ち上がりの石垣状の積み石を「葺石」←これには奥行きのある石を積み上げ崩れないようにしている。
方墳と円墳の平らな面をタイル状に貼り並べた「貼石」←ここには葺石より小さい石を並べている。
さらに! まりこふんさんが歌う『熊野神社古墳の歌』にあった…
♪熊野神社古墳!実は上が平ら~♪は、断面図中のA:で、さらに小さい敷石で、ほとんど平らになっています! そうだったのか~🧐
▼石室のようす 入口の復元
『中心軸は真北よりも西へ7度傾いています。』その様子をGoogleマップで見てみましょう…
あれ? これ、傾いているんじゃなくて「磁北」に合わせてるんじゃないの?
▼出土した遺物
『石室内には、埋葬時に、たくさん納められていたと考えられる副葬品が、ほとんどありませんでした。それでも、ガラス玉、鞘尻金具、環金具、釘などが残っていました。
太刀の一部である鞘尻金具には、七曜文が象嵌されています。この文様は、和銅元年(708年)に鋳造された和同開珎よりも古いといわれる富本銭にも見られる文様で、発掘調査によって出土したものでは、このほかにありません。』←なので、鞘尻金具は非常に重要な出土品であり、展示館の入口にもこの形が掲げられていたんですね。
▼鞘尻金具の展示
貴重な物なので赤い布の上に置かれて展示されていました。が、貴重なものなので複製(レプリカ)です💧
ところで、この形が何かの被り物(ヘルメット)のようにも見えるんですけど😅
どこに使われていたものかというと… ↓ここです。
▼先進文化
ところで「七曜文」は中国からもたらされたのですよね。
⇒七曜とは - コトバンク
曜日の 日月火水木金土 と七曜の関係は?
⇒曜日はなぜ日月火水木金土なの?その理由とは? - 日本文化研究ブログ
バビロニア → エジプト → ローマ → インド → 中国 → 日本 と伝わってきたそうです。
▼高度な土木技術
▼計画的な設計
『古墳全体の中心軸は磁北に近い方向に配置され、…』 あ~「石室のようす」のパネルで『中心軸は真北よりも西へ7度傾いています。』とあったけど、やっぱり傾いているんじゃなくて「磁北」に合わせてるんだよね!
古墳デザイナーが古墳の中心軸を南北に合わせないなんて考えられないもの。
⇒地磁気を知る|国土地理院 東京付近では磁気偏角は西偏約7°です。
※古墳デザイナーは古墳の中心軸を南北に合わせているものだ! という美意識が私の中にあるのですが、
じゃぁ、仁徳天皇陵はどうなってる? とGoogleマップで見たら…
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)および、その周りの古墳は南北を向いてない!💧
え! なんで? いったいこれらの古墳はどこを向いているの? 古墳の謎が一つ増えた😅
その謎を推理している興味深いブログ記事がありました。
⇒仁徳天皇陵の示す方角 : 火(ホ)と「ニワ」と鍋釜
▼上円下方墳
▼被葬者像
最後に展示館にあった ↓この展示
▼武蔵府中熊野神社古墳の盛土のようす
これ、古墳の断面に樹脂を塗って表面の土を剥がしたものなんだって!
⇒版築とは
ふ~🥤 展示館にあったパネルを並べて、ちょっとした疑問点を調べただけでこんなに長くなってしまいました😅
ぜんぜん自由研究になってない気がする💧けど、暑いからそろそろおしまい。
まぁ、ブログに載せたから、自由研究は提出済みってことで😅
※関連記事
2021/07/20 マツコの知らない世界『古墳の世界』で古墳にコーフン
2021/07/23 府中・街中のオブジェ…『武蔵府中熊野神社古墳』
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